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タイトルにある「言霊」って表現に、なんだかおどろおどろしいスピリチュアル(最近では略語で「スピっている」と言うらしい・・・)な感じがしてこのページを閉じようとしたアナタ!もうちょっとだけ読んでいって!損はさせないよ(おいおい)。
私が、介護支援専門員(ケアマネ)のお仕事をするようになって、自分の中で一番に意識改革したことは「ことばの使い方に気を付ける」という事でした。介護支援専門員(ケアマネ)の仕事は人に会うのが仕事ではありますが、同時に「ことば」で勝負する仕事だと思っています。相談対応然りケアプランをはじめ書類作成然りと、業務内で言葉を使う範囲が介護医療福祉職の中で介護支援専門員(ケアマネ)は多いほうに入ると思います。ここまで読んでピンときたアナタはカンが良い!そう、言葉は力を持つ(言霊)という概念について考えた事を今日は伝えたいのです。
検索エンジンで「言霊」と検索すると次の言葉が出てきます「言葉にあると信じられた呪力」と。言葉には魂がこもる。言葉を発すると、その言葉に力(魂)が宿り良くも悪くも様々な効果が表れると古くから言われています。万葉集でも柿本人麻呂が「この国は言霊の幸わう国ぞ」と謳いました。まぁ、簡単に言えば、良いことを言えば良いことが起こる。そうでない言葉を言えば・・・言わずもがなですね。
そこで、介護支援専門員(ケアマネ)と言霊の何が関係あるの?と思ったアナタ!いやいや、関係が大ありじゃないですか!利用者さんの事の生活が少しでも良いようにケアマネジメントする中で良いようになりますようにと願う訳です。私は、そのこと(良いことが起こりますように)を願う時に、その言葉を発することを「祝福」と言います。
どうしても、お年を重ねると「体がいうことをきかない」「病気が苦しい」「周りに誰もいなくてさみしい」などと、日ごろから利用者さんの訴えを聞くことが多い立場こそが介護支援専門員(ケアマネ)だと思います。そこにテキトーに相槌を入れて「ハイハイ、〇〇さん。デイサービスに通えばソレも良くなりますよ」なんて、それこそテキトーなことは利用者さんに言えない訳で。
利用者さんの思いや訴えは真摯に聞く。そのうえで、少しでも明るい事、きれいごとにならない様に前向きな事を利用者さんやご家族に伝える事が出来るのは介護支援専門員(ケアマネ)だと思います。例え、ネガティブな話でも言い換えや考え方によってはポジティブに考えることもできます。それを私たちは「エンパワーメント」と言います。介護支援専門員(ケアマネ)では専門用語になる「エンパワーメント」という言葉を私はあえて「言霊(祝福)」と呼びたいと思います(勝手に言っています)。
このページを最後まで読んでくれてありがとうございます。あなたの人生が少しでもより良い人生となりますように。
介護支援専門員の資格について話題になる中のひとつに「ケアマネって資格は国家資格でも無いのに更新制で更新にかかわる法定研修の費用やテキスト代が高い」って話が上がってきます。後、「国家資格の教員免許でさえ更新制は廃止になったのにケアマネだけ何時まで・・・(と言う話もあったり、なかったり)」
東京都では来年度に向けてケアマネジャーの更新研修の受講料を軽減する施策を講じ始めた…なんてニュースも聞こえてきますが、全国(沖縄も含めて)規模で展開されるにはまだまだ時間がかかるかもしれません。
イデアでは更新にかかわる法定内研修やテキスト代金、それ以外でも有料の研修に関しても会社が負担する事としています。その理由は「業務で使用する資格だからこそ会社が負担するべき」という考え方と「イデアで少しでも成長して欲しい」という願いを込めているからです(職員もホームページを見るので嘘はつきません(笑))。
又、社会福祉士を目指したいという方にも、ハローワークで職業訓練給付金等の制度を活用して資格取得に向けてサポートしたいと思っています。私も制度を活用して社会福祉士を取得しました。論文や課題などのアドバイスやスクーリング授業に参加できるように業務の調整等、サポートをしたいと思います。
イデアで成長したい!って、理由で就職したい方も大歓迎です。もちろん、主任介護支援専門員取得についても費用等も含めサポートします。ぜひ、お問い合わせだけでもお気軽に。
前の職場は、ここだけの話ですが…正直言うと必ずしも良い労働環境だとは思いませんでした。私も退職の際に周りにはご迷惑をかけた身でもあるので、批判や陰口と言った詳細は控えますが、逆境に身を置いたからこそ今の職場環境が創れる事に今では心から感謝をしています。その中で、唯一今でも心に残っている前の上司の言葉があります。
「困難事例という利用者は存在しない。利用者を困難事例と決めつけるのは私たち支援者であって利用者本人ではない」
その言葉に共感できたからこそ頑張って来れたのだと思います。
世田谷区のホームページでは「「困難事例」という表現は、介護支援専門員向け、あるいは他のヒューマンサービス職向けの書籍等の中でよく用いられている。 このような場面で使われる「困難事例」は、厳格に「介護支援専門員が(必ず)困難を感じる事例」という意味ではなく、「介護支援専門員が困難を感じることが多い事例」という意味で用いられている」と言う、吉江悟氏(特定非営利活動法人東京都介護支援専門員研究協議会理事)の解釈が一番わかりやすかった。
あくまでも「困難事例」と言う認識は介護支援専門員側から見た相対的な概念であり「困難事例」と言う言葉を使う際には、前記の認識が含まれている事を理解したほうが良いと氏の論文では警告している。
例えば、「いわゆる困難事例(と言う表現を使います)」と呼ばれるケースには「支援を拒否する利用者」と言う場面に遭遇する介護支援専門員も多い。困っている状況に置かれている利用者に対して、介入する介護支援専門員側としては「サービスを介入することによって状況を少しでも良くしたい」と言う想いから、拒否される(状況が動かない)ことに「困難を感じる」と認識してしまう。そこで補助線を引いて考えてみたい。
日本国憲法第13条では「日本国憲法 第13条(にほんこくけんぽう だい13じょう)は、日本国憲法の第3章にある条文で、個人の尊重(尊厳)、幸福追求権及び公共の福祉について規定し、第11条・第12条とともに、人権保障の基本原則を定めている」と、あるように幸福追求権について書かれている。ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」では「個人の幸福への関心を最大限に持つのは本人である。すなわち他の人から見て賢明であるとか正しいからと言って、何かを強制する事は正当ではありえない。生命や身体など自分の所有に帰するものは、他者への危害を引き起こさない限りで、たとえその決定の内容が理性的に見て愚行と見なされようとも、対応能力をもつ成人の自己決定に委ねられるべきである、とする主張である」と、言ってもなんのことだか解らない!って思うが…乱暴にいうと「幸福追求権って言い換えると愚行権とも言える。他人に迷惑をかけなければ他人から見て愚かなことをしていると思っても、それは個人の権利だ!」ってことになる。
そういった補助線を入れて利用者を見てみると「いくら困難事例だと(介護支援専門員が)見えても、周りの環境や本人の置かれている状況が必ずしも良い状況(と言う介護支援専門員の認識)では無くても、熟慮の末に利用者自身の身体や周りに直ちに危害が及ばないと判断できるなら見守る(何もしない)という判断もアリ」ではないか?と私は考える。
と言う事を、過去に社会福祉士のスクーリング授業で意見をしたら「あなたの考えは間違っている。よろしくない環境であるなら支援者は介入すべきだ」と、一刀両断されてしまったので必ずしも正解な解答ではないことも記しておきます。あなたにとって困難事例とはなんだろうか?と、一度考えてみるのも勉強になると思います。
引用元(世田谷区ホームページ)より
www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/fukushi/001/001/006/d00029863_d/fil/29863_5
「いんとく」とキーボードで入力しても一番上に出てこない「陰徳」という文字。なじみがない概念(いわゆる死語)なのかと思い、AIチャットで検索すると・・・
陰徳とは、人に知られないよう密かにする良い行いのことです1. 陰徳を積むことで、自分自身の成長や、周りの人々の幸せにつながることがあります1. 陰徳を積む方法として、以下のようなことが挙げられます1:
ただし、どんなに良い行いをしても、人に知られた時点で陰徳ではなくなります1. 人に知られないように密かに良い行いをすることが陰徳ですから1. 陰徳を積むことが良いことなのか分かりづらいと思いますが、陰徳を積むことで、自分自身の成長や、周りの人々の幸せにつながることがあります1.
上記の回答が出てきます。人に知られる事無く善い行いをする事だという事が解ります。どうして、今回は陰徳について話しているかと言うと、以前に特別養護老人ホームで働いていた時、100歳近い利用者さんに「あんたは、陰徳があるね~」と、言われたことが(しかも事あるごとに何度も)何年も忘れられないからなのです。最近は、ケアマネジャーと言うお仕事じたいが「陰徳を積む修行だな~」と思うこともあり陰徳について話そうと思った次第です。
どうしても利用者さんを支援していると、制度から零れ落ちてしまうようなケースに遭遇する場合があります。いわゆる「困難事例」と言われているケースです。
そのよくある事例として「ゴミ屋敷」のお片付けですが、利用者さんが住んでいる自宅で生活が出来なくなり、施設に入所となると利用者さんのご家族が居ない場合に「誰が後片付けをするか」という問題が起こります。地域包括支援センターや生活保護(福祉事務所)課、又は不動産や自治会に相談しながら周りの支援者に相談をして助けてもらうのがセオリー(なのかは解りませんが)かもしれませんが、本音を言えば誰もやりたがらない仕事だと思います。そんな仕事を率先して対応していると「自分で何をやっているのだろうか・・・」と、ふと落ち込むこともありますが「誰かが困っているなら、黙ってそれを助ける人がいても良いのではないか」と考えるようにしています。おかげさまで、ゴミ屋敷を片づけるのがうまくなったのはココだけの話し。それを「陰徳を積む」と言うかは置いておいて、他の職員にはそんなこと(ゴミ屋敷の片づけるような困難事例ケースを担当させること)は絶対にさせないと心に決める管理者なのでした。
先日、第26回(2023年度)介護支援専門員実務研修受講(ケアマネ)試験の合格発表もあり、合格された未来のケアマネさんの誕生に来年の4月に資格者証を胸に下げて現場で働く新人ケアマネさんの姿を想うと激(ムネ)アツな管理者です。
今から〇〇年前、特別養護老人ホームで介護職員だった私も、試験勉強を頑張りホームページ上で自分の試験番号を見た瞬間、職場の事務所内にあるパソコンの前で独りガッツポーズ(当時はガラケーでパソコンなんて上等なものは持っていなかったのです)。そのあと、尊敬する先輩(ケアマネ)に試験合格の報告をした時に言われた言葉「ようこそ、こちら側の世界へ」と言う祝福に、「ああああああああ!なんかカッコイイ~!ケアマネとして働いてみたい」と、その時に未来の目標が見えたのを今でも覚えています。
その後、施設ケアマネをさせてもらいましたが「やっぱり、居宅で頑張るケアマネさんはかっこいい。自分の知らない世界を見てみたい」と、一念発起してケアマネとして働くことに。当時の勤務先(特別養護老人ホーム)を去ることになった私ですが・・・新たな勤務先ではブラックな環境が待ち受けており、その経験が「自分が職場を作るならこんな職場を作りたい」というモチベーションになったのですが、その話はまた別の機会に(このエピソードで一本のネタができるくらいですが機会があれば)。
当時、ケアマネの試験に合格し介護支援専門員実務研修の中で出会た人で「自分で独立して4月にケアマネ事務所を立ち上げます」と話していた方を思い出します。時折、同じ同業のケアマネさんの中には「いずれは自分も独りケアマネとして独立したい」と言う方に出会います。イデアでは「いずれ独立したい」という目標をお持ちの方も働きながら支援します。私が起業から現在まで失敗したことも含めてアドバイスが出来ればと思います。もちろん、一緒に働いてくれることも条件の一つですが、イデアを踏み台にして自分の夢をかなえることもできる環境を一緒に作りたいと思う管理者なのでした(もちろん、普通に働きたいケアマネさんも大募集ですが)。
自分の働く会社の企業理念を覚えている人ってどれくらいいるのかしら?会社で毎日、唱和されているならともかく(企業理念を唱和するってブラック企業っぽい汗)弊社で働く職員は企業理念を知らないと思う。そもそも「理念って理想概念の略語だよ」って職員に語っても「ちょっとこの人ナニ言っているかわからない」って顔をされるだろう。
弊社(イデアidea)のいくつかある企業理念の中で個人的に大事にしている理念として「福祉に携わる人間が幸せであるように、自身の頑張りや努力が自身の成果に反映されるような職場環境を整えます。職員の働き甲斐と幸せが、利用者の幸せに繋がるように努めます」という文言がお気に入りだ。我ながらよく考えたもんだと自画自賛。
漢文学者の白川静の著書「常用字解(第二版)」によると「福祉」という漢字の語源は両方の漢字とも「幸福」を意味するという。「祉は福なり」併せて福祉(幸福、さいわい)という「詩経、大雅」には「既に帝の祉(さいはい)を受く」とあり、その福祉は神より与えられるものであったとある。
以上の意味からも、福祉に関わる(働く)人間こそがまずは幸せであるべきであると考えている。働く職員が疲弊しており、不満を抱えて不幸と思える境遇の中で果たして利用者を幸せにできるだろうか?まずはイデアで働く職員から幸せになって欲しい。職員の幸せが利用者への幸せになればというのが私の考えでもあり、私の経営哲学(思想)でもある・・・と偉そうに語るのでした。明日の忘年会の挨拶でこの話を披露しようかしら?
ホームページをリニューアルしてからは、連日のようにブログを更新し続ける管理者です。「やり始めのユーチューバーみたいだな!」と、面白くもないツッコミを自分に入れながらこの原稿を書いています。今日は仕事が忙しく、夕方に独り作業を進める私です(どうせ誰も読んでくれないのに・・・と思い始めるとネガティブモードに突入する為に仕切り直します)。
厚生労働省は連日のように介護報酬改定についての議論を進めており、毎日流れてくる議論の内容と介護報酬改定への実態が段々と見えてきました。個人的な感想としては平成27年度の介護保険改正以来の改悪になるのではと思います。平成27年度の改定では「2割負担」「総合支援事業」の創設。介護報酬の大マイナス改定があり、介護事業所の倒産が相次いで混乱が大きかったことが昨日のように思い出されます。
国会では議員がキックバックか何かで裏金つくりに躍起になっていたと報道が流れますが次回の介護報酬改定では、全介護事業所の財務諸表を情報開示せよと国が言っています。「まずは、自分の懐から開示するのが先じゃありませんか?先生♡」と、嫌味の一言でも言いたくもなります(いや本当に)。
やはり愚痴っぽくなりました。最近は、ブログに写真を載せる機能を使いこなそうとあれこれいじくり回していますがうまくいきません。又、運営規定などもホームページで掲示しなさいと介護報酬改定では議案が出ているそうです。ホームページの内容も進化していく予定ですので、こうご期待を(だから誰も見ていないって)!
とある、就職・転職サイトで「ケアマネ事業所はブラック企業が多い」という記事を見ました。「職場の雰囲気が良い」「パワハラ、いじめなどのハラスメントはありません」と、いくら訴えても雇用主の認識(あるいは建前)だけで実際は・・・という事も少なくないと思います。そこで、客観的に確認ができる評価として今回はイデアの「有給休暇の取得率」について考えてみたいと思います。(ちなみに離職率は一人もいないので単純に0%です(笑))
そもそも、有給休暇の取得率とは何かと言うと雇用主が従業員に付与した年次有給休暇の日数を、実際に従業員が取得した割合になります。
※有給休暇取得率について
・計算方法:取得率(%)=全雇用者の有給取得日数計÷全雇用者の有給付与日数×100
・有給取得計算日数には、前年度有給休暇の繰越分を取得した分を含みます。
・有給休暇付与日数には、雇用主の定める特別休暇(イデアでは慶弔・特別訓練教育休暇等)及び前年度繰越分の有給休暇は含みません。
・年次有給休暇は発生日から2年間で時効となり、消滅する(労働基準法第115条)。
上記、3点を基に算出してみます。弊社では、役員2名、従業員3名が働いているので従業員3名を基に計算します。
※算出例(前年度繰越あり)
従業員Aさん:前年度繰越分11日、当年付与10日中、10.5日を取得
従業員Bさん:当年付与10日中、8日を取得
従業員Cさん:当年付与10日中、6日を取得
全雇用者の有給取得日数計=10.5+8+6=24.5
全雇用者の有給付与日数計=10+10+10+=30(前年度繰越分を含めません)
有給取得率=24.5÷30×100=81.6%
という事で、イデアでの有給取得率は81.6%となりました。この数字が高いか?低いか?の判断はこのブログを見ている方の判断にお任せます。イデアでは有給を取得する際の報告はグループlineによる報告のみになります。有給の取りやすさにも配慮した職場環境つくりに取り組んでいます。
引用サイト:有給休暇(有休)の取得率を算出する方法は? 計算式や取得率向上の付与方法まとめ|アラカルト型の有休管理クラウドソフト「オフィスステーション 有休管理」 (officestation.jp) より一部抜粋しました
終活とは「人生の終わりのための活動(ウィキペディアより抜粋)」の略称で、人間が自らの死を意識して人生の最後を迎えるための様々な準備や、そこに向けた人生の総括を意味する言葉である・・・と書いてありました。具体的には、身の回りの財産の整理やお墓の準備、老後の医療や介護に関する方針決定などが含まれていて、最近では「人生会議(APC)」などと言って終末期の医療の在り方やケアについて前もって考える取り組みなどを事前に本人を踏まえて家族や関係者と話し合う等、厚生労働省が率先して取り組み方法など発表しています。一年前、終活に興味を持った私も一念発起し「終活カウンセラー2級」を資格取得しました。
日ごろ、ケアマネージャーとして業務する中で残される家族や人生の終焉についても相談を受けますが、まさしく終活は「終焉活動を通して自分を見つめ、今をよりよく生きる為に行う」活動だと学びました。実際、利用者さんに「自分の人生の最後をどう捉えるか?」と、質問を投げかけても「胃瘻はいやだ」「子供たちに面倒を掛けたくない」と、簡単なイメージは話されますが、終活(人生の最後)について具体的に考えてみませんか?と話をすると「自分の最後を考えるなんで想像できない」「その時になれば考えるさ」と具体的に考える事を嫌がる利用者も多いと感じます。特にご家族がいらっしゃらない独居高齢者を支援する際には終末期の意向は確認しておきたいのですが、無理に話を進めると信頼関係を破綻しかねない時もあります(そういった場合の研修なども準備されています)。
私も、「自分の残りの人生(時間)はあとどれくらい残されているだろうか」と、考えます。そのために、いつまでに何をするべきか?と過去の反省と将来の目標を立てて頑張ってきました。しかし、最近は「過去を悔やまず未来を憂えず今を如何に生きるか?」という風に考える事が多くなりました。「今をよりよく生きて満足した!」って感じた時に人生の最後についても真剣に考えてみようと思う今日この頃でした。