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月別アーカイブ: 2024年10月

「テレワーク」の功罪と「ケアマネージャー」としての働き方について~その①~

以前、紹介したブログの内容から抜粋します。『国土交通省の2023年度調査によると、直近一年間に自宅などでテレワークをした会社員、公務員らの割合は16.1%で前年度から2.7ポイント減ったという記事を見ました。新型コロナウイルス感染症対策として普及したテレワーク(在宅ワーク)だが、週に1回~2回だけテレワークをする人の割合が増えており、出社と併用した働き方が広がりつつあるようだ』と記事は締めくくっています。

ケアマネージャーと言う仕事は、コロナ禍前(イデアが起業したのは、新型コロナウイルスが流行る直前でした)から在宅ワークと相性が良く、自宅で仕事が出来る環境を整備すれば仕事も生活の質も向上するはずだと常々考えていました。実際、起業当初から在宅ワークとICTの整備に力を入れて、沖縄県内では在宅ワークができる環境の事業所ランキングとして末尾に入ると思います(そのようなランキングがあればですが)。

今回は、事業所立ち上げから4年。イデアで実際に私が感じた職員から聞いた「管理者は見た聞いた」内容を基に、在宅勤務のメリット&デメリットを運営の立場から考えてみたいと思います。

課題:1 従業員のオンとオフの区別が出来なくなるのでは?と言う不安に対して

仕事とプライベートの距離感は人それぞれです。「家で仕事をしていると、緊張感が無くなる」「家事をしながら仕事ができるので助かる」「通勤時間の渋滞が緩和されるのでストレスがない」「気を抜くと、時間外や土日でも仕事をしてしまう」と、言ったメリット、デメリットが挙げられます。

イデアでは、事務所への出勤も在宅ワークも自由でlineワークスにスケジュールの報告をすれば自由に働き方は選べるメリットはそのまま。かく言う、私は「在宅勤務中心派」。毎週、月曜にイデアで開催される週間ミーティング以外は基本的に在宅ワークから始めます。

その理由は、今年、娘が保育園から認定こども園へ進級したことで登園時間も変わった事。送り迎えは基本、私の役割だけれど、こども園の受け入れが保育園より30分遅い。それだけで事務所へ出勤が間に合わない。毎週、月曜は祖父(私の父)に、朝の送りを頼むのが精いっぱいなので、このシフトは今年四月からシフトは譲れません(威張るな)。

会社の代表(私)がこんな調子なので、朝は事務所に居ないのが当たり前の風景。管理者(私)が朝に事務所に居ないのは良いか悪いかは置いておいて、大事なのは「出勤か在宅ワークか選べる自由がある」という職場風土が大事だと思います。「職場の皆、(特に上司)が、毎日、朝早くから出勤しているので、在宅ワークがやりにくい」という空気は微塵も無いイデアの職場環境でした。

逆にデメリットとしては、「家で仕事をしていると、緊張感が無くなる」について。イデアでは、在宅ワーク及び事務所へ出勤も自由に任せています。「事務所で仕事をする方が集中できる。仕事の事で解らない事があれば、他のケアマネさんから聞けばいい。たわいない話をして愚痴や不満を発散したい」と、そう言って用事がないのに(失礼)事務所に来て過ごされるケアマネさんもいます。

ただ、時間外の労働は控える様に職員に言い聞かせています。パソコンからFAXを送ると通知が私に来るようになっています。土日に通知が来ると「時間外に仕事をしないように」と、伝えています。これは、後日話す「イデアの成果主義の功罪」と、原因が重なると思います。

後は、「家で仕事をしていると、緊張感が無くなる」ですが・・・。たまには良いのではありませんか(小声)。ケアマネージャーと言う仕事は精神的にとても疲労する「感情労働」の最もたる仕事だと思います。疲れたなら、少しくらい布団にダイブしても誰も見ていませんよ。ウフフ・・・ 御後がよろしいようで。それでは・・・

(イデアでの「在宅ワーク」の功罪と「ケアマネージャー」の働き方について~その②~ へ続く)

マナビノチカラ ~その②~

ケアマネジャーとして業務をしていると、「知識」の必要性を嫌と言うほど実感します。もちろん、どの職業、職種においても、「知識」と「経験」は必要だと言える事でしょう。医療や介護、福祉においても、特にケアマネジャーのお仕事に関しては、学ぶことを続ける事が出来る人じゃなければ続けていくことはできないと思います。

 

いきなり、私個人の経験談で恐縮ですが、今から、17年前に無資格で「介護業界」に飛び込んだ私。「子供の頃から祖父母に育てられたので、恩返しだと思いこの仕事を選びました」と、モチベーション高く、当時は若かったこともあり身体的な負担や夜勤も厭わず介護の現場が自分にはとてもあっていたと感じました。職場環境もそうですが人間関係も含めてとても毎日が勉強で楽しく「これは、私にとって天職だ」と想ったことが昨日の事のように思い出せます。

ある日、介護職として働いていた私に看護部の部長さんが私に言いました。「あなたは、とてもこの道に向いている人だと思う。だからこそ言うけれど、この仕事を選んだからには一生懸命に学びなさい。自己流になったらいけない。自己流になると人は視野が狭くなる。テキストに書かれている先人の知識と経験を学びなさい」と真剣に話してくれました。「知識があれば、自分の仕事に説明ができる。根拠がある、裏付けされたケアに対して人は信頼するものだ」と、部長は話されていました。そのエピソードを忘れた事はありません。

 

ケアマネジャーの業務は、利用者やご家族が抱える問題に対して解決に導く為に知識と経験に培った能力が問われます。様々な問題(困りごと)に対して、状況に応じて利用者への問題解決に対して社会資源(介護保険制度をはじめとした社会保障の知識)に精通するだけではなく、インフォーマルサポート(家族だけでなく地域の協力も含む)を活用する必要もあり、思いもよらないトラブルに対して臨機応変に対応を問われます。

「デイサービスを週3回にヘルパーを週1回、お掃除でスケジュールを組みましょう」と、介護保険サービスに繋げれば利用者やご家族の問題がすべて解決する!と言うのなら、ケアマネジャーは必要ないと思っています。私個人の意見ではありますが、心の底では密かに思っています。「介護保険に繋いだから介護のすべてが解決できるほど、人間はそんなに単純じゃねぇんだよ」って。

 

利用者やそのご家族を含めて支援していく前提として必要な条件が「信頼関係」を築くことが大前提だと、どのケアマネジャーに聞いてもそう答えると思います。単純に信頼関係とは何かと言われて「私は、利用者や家族と信頼関係はできている」と、私も含めてそう思ってしまいがちです。ですが、大切なことは「この人は信頼できる人だ」と思うのは、私ケアマネジャー側からの意見では無く、あくまで利用者やご家族の立場からの評価だという事です。そして、利用者や家族という相手の心の中身は知れるはずもありません。「ケアマネジャーはいつも、利用者や家族から試されている」と、思って私は毎回、訪問時に面談に臨みます。初回の訪問から始まり、毎回すべての面談が真剣勝負で利用者やご家族の話を聴き、真摯に対応しています。解らない事に対しては相手に対して説明する事も大事です。私が解らない事に対しても、きちんとお調べをしてから回答すると言う対応も大事にしています。ですが、それ以上に「相手の話に対して真摯に耳を傾けて傾聴する」と言う姿勢さえも知識がないと実践できません。コミュニケーション能力が高くないとケアマネジャーのお仕事は出来ないのかと、思うかもしれませんが「対人援助技術」と言う知識を学ぶ事でスキルを高めます。

 

他にも、おすすめの書籍として「頭のいい人が話す前に考えていること(安達裕也著)」は、どなたが読んでも学びになる一冊だと思います。書籍の中で「話が浅い人の特徴」として、①根拠が薄い、②言葉に鈍感、③成り立ちを知らない、三つを挙げます。詳しくは著書に譲りますが、この本を読んで思い出した言葉が「この仕事を選んだからには一生懸命に学びなさい。自己流になったらいけない。自己流になると人は視野が狭くなる。テキストに書かれている先人の知識と経験を学びなさい」「知識があれば、自分の仕事に説明ができる。根拠がある、裏付けされたケアに対して人は信頼するものだ」と、若い頃の私に話してくれた看護部長の話を思い出す未熟な私なのでした。

ブログを書いて想うことなど

このブログでは、指定居宅介護支援事業所イデアの紹介や、日々の業務を通して思う事を書させて貰っています。又、日ごろのお仕事の中で思う事を書いています。ただ、このブログを書いていて、常に思う事は、文章としてストレートに表現すると、書いている意図が正確に伝わらないのでは、読む人に不愉快にさせるのではないか?という不安が頭を過ぎります。仮に、このブログを読んでくださる人が「介護をされているご家族」や「介護や医療・福祉に携わる方」と仮定した場合、読んでくださる方に対しては特に読後の感想が気になります。私の立場として、利用者を始め介護者に対しては真摯に向き合うと同時に、介護事業者や医療・福祉の支援者に対しては尊敬を持って書かせてもらっています。

10年以上も前の話です。それまで、アナログな人間として生きてきましたが、ある日、iPhoneというおもちゃを手に入れた時、流行りの玩具を手に入れ子供の様にSNSを通して秘匿性が担保されたシステムを利用し、自分の思う事を述べたこともありました。個人情報に配慮した上での意見でしたが、日常で誰も言わない意見を素直に述べた事で多大な反響があった時にSNSの怖さを実感しました。同時に事情を知らない方からの批判や中傷を目にしてアカウントを閉鎖しました。

自分の意見を発信する怖さを知りながらも、あえて、ホームページを作成した時に、ブログで自分が思う事を素直に(個人情報に配慮しながら)書いてみようと思いました。ですが・・・途中で「この文章を読んでくれた人がどう思うか」を考えると、言い訳を考え文章をつけ足してみる等、個人に対しての批判や意見ではない事を文章で延々と連ねていくうちに「書きたい文章は、コレではない」と、思うことも増えてきました。先程、書いたブログ『利用者の「幸せ」とは何かをケアマネの視点から考える』というタイトルの長文を丸ごとボツにしました。書いた文章が、意見が正しく伝わる自信がないと思い破棄しました。今、長文を書いた時間を回収したくて余話としてこの文章を書いています。

事務所でよく職員に話します。人と人とのコミュニケーションに難しさについて。一方的なコミュニケーションである「ブログ」でさえも読んだ人の読後感で不愉快にさせてはいけないと思います。かと言って有益になる情報も書ける力も力量もない袋小路に迷いこむ今日この頃です。